準ちゃん。


市川さんと呼ぶ時。準ちゃんと呼ぶ時。

詳しく正確に言うと、

お仕事で人前の時は、市川さん。

またまた〜、なんてこと言うの、なんてことするの、本当にしょうがないんだから、

でもいいや、好きだから〜許しちゃう〜の時は、準ちゃん。


尊敬する市川さんと愛すべき準ちゃんです。



エピソード、序章



初めて会った時は、勿論、市川さんです。

市川さん33歳、僕32歳。

CMの仕事で、お互いの企画を持ちよった時が初めての出会いです。

同じ課題なのに、どうしてこんなにアイディア、答が違うのと、

2人でコンテを見せ合い、笑いあったことを忘れません。

それは、お互いの個性、キャラクターを認め合った瞬間でもあります。

至福の時です。

2人は、30歳を超えたといえ、まだまだ若い、演出とプランナーでした。

その翌年、そんな2人がかかわったCM、エスキモーピチカート、味の素の中華味が

2本ともACC賞をいただきました。


市川さん、準ちゃんとのハッピーエピソードの始まりです。




エピソード1、準ちゃん初めての海外ロケ、サイパンに行く。



僕たち先発隊より遅れて、サイパン入りした準ちゃん。

サイパン空港にお出迎え、そして飛行機が到着。

せっかくタラップから降りたったのに、再び機内に戻る準ちゃん。

なんだ、なんだと思っていたら、準ちゃんは先に入ったスタッフのために

日本の新聞をわざわざ飛行機に取りに戻ったのです。

優しい準ちゃん。

そんな準ちゃんとホテルは、同部屋。

「ドアー開けておいてね。」といって、

僕を置いて、深夜ガラパンの街に一人消えて行く準ちゃん。

優しさ以上に、好奇心の強い、準ちゃん。



エピソード2、準ちゃん初めてNYに行く。



この仕事も、僕が先にNYに。

後から来る準ちゃんは、「ハーレムロケハンをしておいて」と。

当時のハーレムは、とっても怖いところ。

でも、準ちゃんに言われたら、ロケハンに行かざるをえない。

夕暮れ時、ハーレムへ。

コーディネーターは、怖がって車から降りない。

仕方なく僕が降りたら、案の定、黒人達から罵声!

怖かったー!

この事を報告したら、

準ちゃんは笑顔を浮かべ「やっぱり。」と、ひと言。

人使いの荒い、準ちゃん。



エピソード3、準ちゃん初めてLAに行く。



ロケバスで夕食に行った帰り、ハリウッドのはずれの辺り。

突然「バス止めて!」と、準ちゃん。

いくら、ちょっと歩けばホテルだと言っても、人通りの少ない所、夜の一人歩きは危ない。

僕とスタッフが、いくら止めても、一人闇に消える準ちゃん。

命知らずの準ちゃん。



エピソード4、準ちゃんのロードムービー



準ちゃんは、僕の結婚式に流すムービーを撮ってくれました。

それも16ミリフイルムで。

タイトルは「A DAY IN THE LIFE」

準ちゃんは、僕のかみさんのことを無防備の瞳と言って気に入っていました。

撮影は1日で、深夜に及びました。ロードムービーの傑作です。

結婚式で流した時、アンコールの声が起こりました。

準ちゃんは、涙を拭きながら会場を後にしました。


本当にありがとう、準ちゃん。



エピソード5、準ちゃん何度も何度も愛媛ロケに行く。



ポンジュースのCMのロケ地は、愛媛、八幡浜市

(準ちゃんは、愛媛に住みたいと言っていたぐらい、愛媛を愛していました。)

そこに、ロケに行くたび訪れるスナックがあります。

その名も「アニマル。」凄い名です。

最初は、怖いもの見たさに恐る恐る入りました。

ですが、野獣のようなホステスがいるわけでもなく、

年増のママさんが一人でやっているお店でした。

場末の雰囲気か、名前なのか、なぜか僕たちは、気に入っていました。

そして、最後は準ちゃんお得意のカラオケ、赤いスイトピーの熱唱。

好きでした酔いどれ、準ちゃん。



エピソード6、準ちゃんの初めての映画。



CMで、たびたび素人を起用する準ちゃん。

僕に、映画「BUSU」出演の声がかかりました。

役どころは、ビヤガーデンの階段で酔っ払った俳優高島さんに

反吐を吐きつけられるカップル。

(カップルの相手役は、スタイリストの下田真知子さん。)

セリフは、「きったねーなー!」アドリブで、一言。

反吐を吐きつけられる役だからTAKE ONE OKでないと思っていたら、

一発OKで無事終了。

ですが、その後準ちゃんから電話があり、「編集上、カットしました」と。

幻のシーンとなりました。


そこで、準ちゃんは僕に、再び学校の先生役を用意してくれました。

シーンは、職員室、学園祭の出し物で生徒に相談を受ける役。

カメラ位置から見たら、センターロングボケ。セリフは適当にの指示。(笑)

そんなチョイ役でしたが、

エンドロールには、松枝良明、松枝多佳子のタイトル。

スクリーンで初めて見る自分の名前。感激しましました。

どこまでも優しく、気遣う準ちゃん。



エピソード7、準ちゃん映画その後。


それ以来、たびたび映画出演の声がかかりました。

たいていエキストラ役なのですが、必ずカメラポジションで僕だとわかる所においてくれました。

ノーライフキング」の時なんか、僕の移動とカメラの移動がシンクロしてたりして。

「クレープ」では、わざわざ隣の客役の尾形君がカウンターに、つぷして僕の顔が映るようにしてくれたりして。

そんな中「つぐみ」では、セリフを初めていただきました。

「白鳥さん、電話です。」

エンディングに導く、重要なせりふです。

テイクを重ねること10数回。ようやく、OKが出ました。



締めるところは締める、厳しい映画監督、準ちゃん。




エピソード8、準ちゃんのオフライン編集。



まだ、僕の子供2人が小学校低学年の頃。

たまたま休日で、仕事ですが、子ども連れで編集室に行かなくてはなりませんでした。

編集は確か5タイプぐらい上がっていました。

どれも、良い出来で、お薦めタイプに迷いました。

そんな時、準ちゃんは、子どもに見せて、

素直に笑って反応したタイプを、ニッコリと選びました。

クライアント試写の時も、それが選ばれました。


子どもの素直な反応に、素直に応える、準ちゃん。




エピソード9、準ちゃん映画、再びその後。



「つぐみ」以来、暫らく映画出演のお声が、かからなくなりました。

素人出演者に懲りたのか?準ちゃん。(苦笑い)

ですが、久しぶりに、お呼びがかかりました。

映画「トニー滝谷」です。

仕事を終えて新幹線で、喜び勇んで新横浜へ。

そこには、斬新なオープンセットが。雨降ったら、どうするのだ!準ちゃん。

セリフは、再びありません。いつものようにアドリブです。


深夜におよぶ撮影も無事終了。


映画を見てびっくりしました。

いつものように、センターボケかと思いきや

僕の顔がUPで使われている。

カメラは広川さん

あっぱれ、準ちゃん。

よくぞ、僕の顔UPをカットしなかった。

映画は数々の賞を受賞。

あっぱれ、準ちゃん。



エピソード10、準ちゃんの舞台挨拶。



映画「あおげば尊し」封切の日、娘と2人で見に行きました。

舞台では、準ちゃんがいつものように、ぼそぼそとご挨拶。

客席の僕たちに気づいたんでしょう。

舞台挨拶が終わったら、わざわざ僕たちの席まで来てくれて、再びご挨拶。

娘が感激していました。

そう言えば20年以上前、

映画「BUSU」が、早稲田祭で上映、

内緒で、準ちゃんのパネルディスカッションを見にいった時もそうでした。


客席の尾形君、かみさん、僕を見つけ、

その後、照れくさそうに挨拶に来てくれました。

本当に、本当に大好きでした。

はにかんだ笑顔で、髪をかきあげ、ボソボソっと話す準ちゃん。



エピソード最終章。



33歳と32歳で、出会った2人。

長い付き合いの中、

考えてみたら、幸子さん、僕のかみさん、子ども達も含めたお付き合いになっていた。

仕事に、プライベートに、

ここには、書けないエピソードも含め、

準ちゃんとのエピソーソは尽きない。




準ちゃん59歳、僕58歳。別れは突然、訪れてしまった。




老後の楽しみは、準ちゃん映画でファンキー爺さんの役柄をもらうことだったのに…

そして、もっともっとエピソードを重ねたかったのに…

準ちゃんたら…



62歳、いつの間にか、準ちゃんの歳を軽く、越えてしまった。



松枝良明


お知らせが直前になってしまいましたが、10月29日(月)20時より、BS日テレにて市川準のCM作品が放送されます。


今回番組スタッフの方よりメッセージを頂戴しました。




BS日テレ「徳光和夫のトクセンお宝映像」番組スタッフより



10月29日(月) 20時よりBS日テレにて「徳光和夫のトクセンお宝映像」
「もう一度見たい!名作CM2」が放送になります。


司会の徳光さん、そしてゲストにコピーライターの仲畑貴志さんをお迎えし、
昔懐かしいテレビコマーシャルの名作を選りすぐりお届けする今回。
市川幸子さまや、各企業のみなさまのお力添えあって、
市川準監督の名作CMをほんの一部ではありますが、
ご紹介させていただける運びとなりました。


スタッフ一同、改めて市川準監督が手がけられたコマーシャルを拝見し、
いきいきとした人物達の表情、思わす笑みのこぼれるユニークな演出・・・
CMという短い時間の中に込められた、市川監督の「作品に賭ける想い」を感じ
作り手としても多くのことを学ばせていただいたように思います。


一人でも多くの視聴者の皆様に市川監督の心温まる作品の魅力、そして感動を
お届けできればと思い番組制作に臨みました。


市川準監督の名作CMの数々、ぜひご覧ください。


最後になりましたが、今回ご協力いただいた皆様に深く御礼申し上げます。

市川監督のこと


病院で死ぬということ



私は、初めてプロデュースする劇映画の監督を探していた。
ある日、「市川準」という固有名詞が浮かんだ。



新橋の第一ホテルの喫茶室であった。
「ぼくは映画を趣味でやってるんだよね」といきなり言われた。
でも、少し震えながら身構えながらの発言であった。
心の中で、ムカッとしながら「そんなことおっしゃらずに」と説得した。
「ある人と相談してから、決めていいですか」と別れた。
(後からの話から想像するに、ある人とはたぶん奥さま)
ある人と相談して、やってくれることになった。



末期ガン患者の最後の日々を描く素材だから、私は観客をわんわん泣かせるつもりでいた。
脚本を市川さんが書くことになり、言われた。
「里中さん、お涙頂戴だけはやめましょうね」
「ウッ」と思ったが、最初の稿をみてから直していけばいいやとも思った。
数日後、日本映画界初のA4のコピー用紙に横書きされた手書きの初稿が届いた。
「なんだこりゃ」と思いながら読んだ。お涙頂戴はやめた。



16mmで実景の撮影が始まった。
「フィルムは4〜5本もあれば」が4日間程でテレビの2時間もの一本分使われた。
結果30数時間のドキュメントを見る破目になった。ウソツキの始まりだった。
彼の映画は知っていても、つくりかたは知らなかった私が悪いんだけど、遅かった。



映画が完成してからは「里中さん、これで大丈夫でしょうか」と聞いてくる。
「監督。もう一億ウン千万使いきっちゃったんだから」と返した。
いつも完成直後は極端に落ち込み、公開日にむけて徐々に自信を取り戻すパターン。
取材が続くと「同じ話ばかりさせられてイヤなんですよね」と愚痴る。
ヒトラーはウソも百万回つけばホントなるといってた」と尻を叩いた。
初日の舞台挨拶は、いつも震えながらで「なに話してたか、わからない」としょげる。
「ウブな新人みたいでよかったですよ」と心にもないことをいい励ました。



私にとって市川準とは、シャイで、繊細で、嘘つきで、図々しくて、いうこと聞かなくて



彼が亡くなった夜にビールとマイルドセブンとライターを買い禁煙をやめた。

市川準監督のこと〜



一生懸命に考えた。

初めて市川監督に会った時のことは・・・実は良く覚えていない。
私がアシスタントだった頃で今から25〜6年前のこと。
最初の頃監督は私のことを「〜〜(当時の会社)の若いこ」と呼んでた。

そして名前で呼んで貰えるようになった頃、あるCMの仕事でご指名をいただいた。
市川監督がオーディションで小劇場系の役者を年齢問わずたくさん見たいと言う。
遊民社、第三舞台、ジテキン、カクスコ、山の手、エロチカ、七曜日、キャラメル、鳥獣戯画等・・・、
2日に分けて総勢80名位の大がかりのオーディションをやった。
CMで使ったキャストは3〜4人で、ほとんどの役者はある「映画」で出演している。

・・・・・ここだけの話。



市川監督には得意な魔法の言葉がある。
CMでも映画でも諸事情というものがあるのだが、市川監督の要望が
はるかにそれを上回っていてプロデューサーも私も声をそろえて
「監督、それは無理です!」という場面が多々あった。
そんな時決まって監督が言った台詞が
「市川がそう言ってると言って・・・・。」

・・・誰に?

だけど、ほとんどの場合市川監督の希望通りになった。
・・・・市川監督だけが使える魔法の言葉。



市川監督は本当に有名無名問わず、多くの役者さん達から慕われ愛されていた。
皆市川監督が大好きだった。

彼らが言うには、市川監督は役者の一番良いところを撮ってくれるんだそうだ。
主役でも、短いたった1カットの端役でも演じる者の気持ちを大切にしてくれる・・・。
特に秒数が決まってるCMは、カットごとの演技が短くて気持ちを作れないまま
不完全燃焼で終わってしまうことが多い中
市川監督は1カット長芝居で・・前後アドリブ入れて・・たっぷり間を取って・・
カットがかかるまで続けて・・・と長回しで撮ってくれる。
役者にとってこの充実感、緊張感は役者冥利に尽きるんだと言う。

もちろん言うまでもなく、市川監督のあの愛すべき人柄も
皆が市川監督信者になる最大の魅力のひとつだったのだけれど。



現場に必要な市川監督愛用のものがあった。

撮影朝市川監督が現場に来ると先ず<コーヒー>だった。
砂糖・ミルク入りのホットコーヒー。
次にだいたい「<胃薬>ある?」
そして<タバコ>・・・「これと同じの2つ買ってきて。」
これらが揃うとリハーサルが始まる。

ぼそぼそしゃべる監督には<トラメガ>が欠かせない。
スタジオでは<市川監督専用マイク>があった。
誰が用意したのか金ぴかのマイクに皆で笑った。

撮影が進み佳境にさしかかると<アイス>タイムになる。
甘いモノが大好きだった市川監督。
撮影現場ではアイスで編集中はケーキだったそうだ。

ある時から・・・気分転換は目に入れても痛くない以上に溺愛してた
<ひびきちゃん>との電話。監督が別人:じいじに変身した。
あの頃はひびきちゃんのおかげで撮影が早く終わってスタッフ一同幸せだった。

そして助監督:<スエちゃん>と<カイちゃん>
彼らは公私ともに市川監督のいつも一番近くに居て、
映画にCMにととても忙しい市川監督の支えだった。
撮影現場だけでなくいつでも、どこでも監督の手足となり、頭脳となり、
ストレス発散の為もぐらたたきのもぐらとなり、、、
なくてはならない市川監督の助監督だった。
ウルトラセブンのお助けカプセル怪獣ミクラスとウインダム
みたいな・・・・・。




また一生懸命に考えた。

最期に市川監督に会った時のことも・・・実は良く覚えていない。

今回のリレー日記は小泉佐枝さんです。
小泉さんは長年作曲家・「はやしこば」さんのアシスタントとして、
こばさんが出演される市川の現場には必ずいつもいらしていた方です。


市川監督との最初の出逢いは、

病院で死ぬということ」の調布の日活撮影所のセットでした

作曲家のアシスタントだった私にとり、

市川監督は雲の上のような存在の方で・・・

お仕事でお会い出来るなんて嬉しくて嬉しくて・・・

興奮のあまり、

現場では顔がトマトみたいに真っ赤っかになっていた自分を思い出します。

「東京夜曲」では喫茶店の場面の時に、

市川監督から突然通行人にとのご指名を受けて、

生まれて初めてエキストラという貴重な体験をさせて頂きました。

その時も、とても緊張してしまい、

頭が真っ白状態になってしまった私です。

都会的でお洒落でユーモアがあり、

映像と音楽とが、絶妙に融合している市川ワールドには、

とてつもない魅力を感じています。

既存の日本の映画監督には全くない斬新さは、

本当に貴重な存在でいらしたので、もっと沢山の市川作品が見たかったです。

今となっては叶わぬ夢となってしまいましたが、

市川監督が次回の撮影予定だった「ヴィヨンの妻」を是非観たかったです。

私は映画が好きなので日本映画をよく観ます。

市川作品を知ってしまった者として、何を観ても物足りなさを感じてしまい、

この作品を市川監督なら、どの様に描いていたかという想いが常に頭を横切ります。

市川作品のワンカット全てがいつもいつも市川テイストなんです。

本当に素晴らしい作品を沢山残して頂き監督には感謝の気持ちでいっぱいです。

心から、『ありがとうございます』と申し上げたいです。

昨年秋に、幸子夫人と待ち合わせをしていた

ホテルのティーラウンジの伝票Noが0919だったこと、

幸子夫人にメールさせて頂いた直後のSuicaのレシートのNoが0919だったこと・・・

市川監督は天国から、

幸子夫人のことをいつも見守っていらっしゃると

改めて実感して涙が止まりませんでした。

幸子夫人の中には、今でもずっと市川監督は生き続けていらっしゃると確信しております。
 
小泉佐枝    

「小さな思い出」


パリに行った。
パリは6年ぶりで、あいにくの雨は7月なのに寒さを感じた。


7/13にエッフェル塔の近くのパリ日本文化会館で、
市川準監督作品「つぐみ」と「トニー滝谷」が上映されたからだ。


日本映画を紹介する一環として市川監督を追悼する企画で、
6月から7月にかけてほぼ全作品の上映という大掛かりなものである。
幸子夫人たちは6月に参加されすでに帰国された。
一緒にと誘われていて、ためらってのことである。


友人らとオペラ座の近くのビストロで昼を済ませ、
エッフェル塔に向かって歩き出したが思ったよりも遠くて困った。
歩きながらエッフェル塔が見え隠れする姿はまるで、
「大人はわかってくれない」の冒頭のシーンのようで楽しくもあった。
「たどんとちくわ」で市川さんがかの映画のラストシ−ンを
再現されていたのを憶えている。


間違ってエッフェルを通り越したりして、
結局2時間近く歩いたろうか、30分前にようやく辿り着けた。



せめて一服と建物の裏側を探してカフェに座ったものの、
電車の高架線が近くて、車の多く通る交差点だし、
狭い歩道は人の往来がやたら多いし、それも奇妙で見慣れない外人ばかりで
さらに疲れが増す。


ふと「あゝこういう場所で市川さんの映画が見られるのだなぁ」と思いに耽った。
アフリカの人やイタリア人やドイツ人やアラブ人や中国人や、
貧相な外人だらけの街の一角で映画は見られるのかとしみじみした。


そう思うと行き交う他国の人々を「人を観る歓び」と思えて見えてくる。
市川さんならば「町並みに切なさがありますかね」と微笑まれたかもしれない。


「つぐみ」の上映が始まり海へとカメラが滑り出す辺りで、
気持ちの高まりからか落ち着かなくなり気分がすぐれなくなった。
コンタクトレンズもずれてしまい、いけないと思ながら結局は中座した。


トイレで気分を直して再度入場しようとすると、
黒人のスタッフに咎められたので諦めた。


遥々きて情けない、ロビーの椅子に腰かけて気落ちした。


今市川さんは会場の中だろうと想像した。
瓜生はダメですねと不満に思われているだろう。
市川さんになじられると本当に辛くなる。
ぼくのダメなところを見透かされているような気になる。


パリまで来て怒られたくないと外へ向かいながら、
主催者のアルデユイニさんと助手のルモンドさんに挨拶しておこうと思いたった。


受付で助手のルモンドさんをお願いしたら、
少ししてアルデュイニさんが現れてくれた。


ただ深々と頭を下げた。


40半ばの中肉な方で、申し訳なさそうになさる物腰が
繊細で優しい方だなと思えた。


上映会の開催のお礼を伝え、
「パンパース」のCMの上映の感謝を伝えた。


私は生前に市川さんとはお会いできなかったと、流暢に日本語で喋られた。
以前に何処かの映画祭でお見かけしただけ、
「クレ−プ」が一番好きです、
締め切りの原稿があって今は時間がない 、
明日の夕方に食事をしたいと誘っていただいた。


日本から来たことへの気遣いと感じたし、
幸子夫人からの配慮でもあろうとも思えた。
翌日友人と会う約束もあったので遠慮した。
そうですか残念ですと申し訳なさそうにされていた。
仕事に戻ることを促すと会釈をされてまた申し訳なさそうに二階へ立ち去られた。


それからロビーでまた時間を過ごした。
今度はすこし贅沢な時間に感じた。


見ると入り口に元子ちゃんの姿が見えた。
続いて量也君と日々季ちゃんの姿も見えた。


彼らはロンドン経由でパリに来た。
量也君は若い頃にロンドンに留学をしていたとかで、
懐かしいラーメン屋に立寄ったけど美味しくなかったと笑っていた。
そういえば市川さんがご家族みなさんでロンドンに旅行されて帰国された時に、
息子がいろいろと案内をしてくれて助かりましたと、
楽しそうに喋ってらしたのを思い出した。
量也君から世話をしてもらえたのがとても嬉しかったんだと思う。


日々季ちゃんが僕の横にチョコンと座ってくれた。
デジカメを見せて「リスがいたよ」と教えてくれた。
「公園にいたんだよ」「小さいんだよ」 
ロンドンの公園で見かけた野性のリスがよほど気にいったようだ。


すっかり大きくなった。
8歳になり3年生になった。
態度も落ち着いてお姉ちゃんになった。


顔をみたら市川さんによく似ている。
ジイジに似ているねというと俯いて不服そうにした。
周りからよくジイジに似ていると言われるのがきっといやなのだろう。 


量也君は昔市川さんの映画の音楽を作ったことや
タイトルアニメーションを作ったことを教えてくれた。
ギャラをもらってないと笑っていた。
元子ちゃんは日々季ちゃんと一緒に映画に出演したことがある 。
薬師丸ひろ子の親戚の役だったと思う。
ぼくは多くのエキストラの1人で出演した。
その映画の編集をすすめるたびに、
「7秒出てます」「3秒になりました」と教えてくれる監督がいた。


その撮影は学校で行なわれた。
講堂にエキストラを300人集めての撮影だった。
昼ごはんは校内に敷いたブル−シ−トの上で食べさせられた。
見た目も安そうな、300円くらいのお弁当を渡された、苦笑した。


市川さんが中庭の奥から歩いて来られる。
両手を後ろ手にしてすこし猫背で、
人たちにニコニコと笑顔を振りまいて楽しげに歩いておられた。
それは映画作りのために集まってくれたエキストラたちへ
感謝を表そうとされているおつもりだったと思う。
安い弁当以上に苦笑させられた。


そんな映画監督は他にはいない、
世界のどこにもいないと思う。  


三人が座った後ろの席についた。
トニー滝谷」の上映の前にもう一度「パンパ−ス」のCMを流してくれた。
ルモンドさんがムッシュリュウが日本から来ているとアナウンスしてくれた。 
ムッシュリュウ以外はフランス語でわからなかったが光栄だった。 
オムツの中も汗ばみますでウフフとウケていて楽しかった。 


広川さんの映像の素晴らしさに驚かされた。
宮沢りえさんの繊細でしなやかな演技に感激した。
何度も見ているがパリという長い距離が映画を新鮮に見せてくれた。


最後にトニ−が電話をするシ−ンに泣けてきた。
市川さんの遺言のように思えた。
見ると前に座った元子ちゃんも泣いていた。


死者の影に怯えるな
うつろうな 喪失するな
孤独になるな
向こう側へ
もう1つの向こう側へ
まだ間に合うはず
人に興味をもて
愛にひるむな 愛を示せ
ひたすらにひたすらに
自分の映画へひたすらに向かうのだ


市川さんから感じる言葉がぐるぐるとアタマの中を駆け巡った。
今もなお多くのことを教えてくれると思うと胸にこみあげてきた。


外は薄暗い雨だった。 すでに9時を回っていた。
一緒にご飯を食べたかったが店の見当がなかったので別れた。
彼らはタクシ−でホテルに戻り、僕は地下鉄で帰った。


2日後ようやく晴れた。
セ−ヌ河を遊覧するフェリ−を試してみた。


シテ島からサンルイ島を過ぎてUタ−ンする。
ル−ブルの横を進みイエナ橋を越えてまた戻ってくる。
右手にエッフェルが現れる、近づくほどに船の窓いっぱいに拡がる。 


外人だらけの人いきれでくたびれてしまって、外のデッキへと逃れた。
一人がいい、孤独になりたい、放っておいて欲しいと思った


川の風が気持ちよく顔に吹きかかる。


遠ざかるエッフェルに市川さんの影を感じた。
エッフェルは失くならないでいつまでもそこに見えていて、やさしい市川さんを思った。


楽しい思い出になった。
小さくてささやかだけれど、大切な思い出になったと知った。



◎[パリ上映会だより]

パリ上映会だより。<2012・6月26日初日のこと。>


昨日までの雨と、
午前中のはっきりしなかった空が、どんどん青く澄みわたって行く。
嘘のように夏らしい暑さも取り戻していく。
時計の針は19:00を回り、外は白夜である。

パリ文化会館1Fの会場(こちらではB1)入口では、長い列が出来ていた。
パリ在住の日本人・パリの方。御年配の方も多い。
最初の上映作品『東京マリーゴールド』が果たして受け入れて頂けるのかしらと、
内心ドキドキしていた。途中で帰られてしまったらどうしょう。

今回は普通の上映会と少し異なった演出がある。
会館・映画担当のF・アルデュイニ氏の計らいで、市川のCMを本篇の前に流しましょうという趣向である。
観客の方は全く知らないサプライズ。
大喜びで賛同し、スポンサー・関係者さんのご好意を頂き、今日を迎えたのではあるが、
果たして自身の、CMの付きの映画上映を市川はなんて思うのだろうか。

埋め尽くされた観客の前、担当者に導かれながら、慣れない私の心は千々に乱れ、
心ここに在らずである。
ご来場の感謝とともに、これからお目にかけるCMは本篇と関連が有るのだが、無いのです。
などと、なんだか、不思議な説明をしてからの公開となった。

市川が長い年月シリーズで演出していたCM味の素「ほんだし」は、
懐かしい美しい音楽にのせ、樹木希林さんと、田中麗奈さんの親子のやりとりを写しだす。
時間の経過を持った数タイプが流れ、、本篇へと、スムーズに移行していった。
何の問題もなかった。余りの自然さに拍子抜けしてしまう位。
「同じ演出家が手掛けているのだから、違和感があるわけがないんだわ・・・」など、
変な納得をして、一観客と化した。

鑑賞後の皆さんがどうやら希林さん・麗奈さんの親子をCMとは分けて観れていたことを確認出来て胸をなでおろした。

本篇も含め、お二人の親子はなんて素敵な女優さんたちなんでしょう!
お褒めのお言葉も聞くことができて、いいスタートとなった。

今日はお二人や陰のスタッフから沢山の援護射撃をいただいたのだなぁ〜と、
嬉しく、そしてとても有難かった。
                     市川 幸子