「小さな思い出」


パリに行った。
パリは6年ぶりで、あいにくの雨は7月なのに寒さを感じた。


7/13にエッフェル塔の近くのパリ日本文化会館で、
市川準監督作品「つぐみ」と「トニー滝谷」が上映されたからだ。


日本映画を紹介する一環として市川監督を追悼する企画で、
6月から7月にかけてほぼ全作品の上映という大掛かりなものである。
幸子夫人たちは6月に参加されすでに帰国された。
一緒にと誘われていて、ためらってのことである。


友人らとオペラ座の近くのビストロで昼を済ませ、
エッフェル塔に向かって歩き出したが思ったよりも遠くて困った。
歩きながらエッフェル塔が見え隠れする姿はまるで、
「大人はわかってくれない」の冒頭のシーンのようで楽しくもあった。
「たどんとちくわ」で市川さんがかの映画のラストシ−ンを
再現されていたのを憶えている。


間違ってエッフェルを通り越したりして、
結局2時間近く歩いたろうか、30分前にようやく辿り着けた。



せめて一服と建物の裏側を探してカフェに座ったものの、
電車の高架線が近くて、車の多く通る交差点だし、
狭い歩道は人の往来がやたら多いし、それも奇妙で見慣れない外人ばかりで
さらに疲れが増す。


ふと「あゝこういう場所で市川さんの映画が見られるのだなぁ」と思いに耽った。
アフリカの人やイタリア人やドイツ人やアラブ人や中国人や、
貧相な外人だらけの街の一角で映画は見られるのかとしみじみした。


そう思うと行き交う他国の人々を「人を観る歓び」と思えて見えてくる。
市川さんならば「町並みに切なさがありますかね」と微笑まれたかもしれない。


「つぐみ」の上映が始まり海へとカメラが滑り出す辺りで、
気持ちの高まりからか落ち着かなくなり気分がすぐれなくなった。
コンタクトレンズもずれてしまい、いけないと思ながら結局は中座した。


トイレで気分を直して再度入場しようとすると、
黒人のスタッフに咎められたので諦めた。


遥々きて情けない、ロビーの椅子に腰かけて気落ちした。


今市川さんは会場の中だろうと想像した。
瓜生はダメですねと不満に思われているだろう。
市川さんになじられると本当に辛くなる。
ぼくのダメなところを見透かされているような気になる。


パリまで来て怒られたくないと外へ向かいながら、
主催者のアルデユイニさんと助手のルモンドさんに挨拶しておこうと思いたった。


受付で助手のルモンドさんをお願いしたら、
少ししてアルデュイニさんが現れてくれた。


ただ深々と頭を下げた。


40半ばの中肉な方で、申し訳なさそうになさる物腰が
繊細で優しい方だなと思えた。


上映会の開催のお礼を伝え、
「パンパース」のCMの上映の感謝を伝えた。


私は生前に市川さんとはお会いできなかったと、流暢に日本語で喋られた。
以前に何処かの映画祭でお見かけしただけ、
「クレ−プ」が一番好きです、
締め切りの原稿があって今は時間がない 、
明日の夕方に食事をしたいと誘っていただいた。


日本から来たことへの気遣いと感じたし、
幸子夫人からの配慮でもあろうとも思えた。
翌日友人と会う約束もあったので遠慮した。
そうですか残念ですと申し訳なさそうにされていた。
仕事に戻ることを促すと会釈をされてまた申し訳なさそうに二階へ立ち去られた。


それからロビーでまた時間を過ごした。
今度はすこし贅沢な時間に感じた。


見ると入り口に元子ちゃんの姿が見えた。
続いて量也君と日々季ちゃんの姿も見えた。


彼らはロンドン経由でパリに来た。
量也君は若い頃にロンドンに留学をしていたとかで、
懐かしいラーメン屋に立寄ったけど美味しくなかったと笑っていた。
そういえば市川さんがご家族みなさんでロンドンに旅行されて帰国された時に、
息子がいろいろと案内をしてくれて助かりましたと、
楽しそうに喋ってらしたのを思い出した。
量也君から世話をしてもらえたのがとても嬉しかったんだと思う。


日々季ちゃんが僕の横にチョコンと座ってくれた。
デジカメを見せて「リスがいたよ」と教えてくれた。
「公園にいたんだよ」「小さいんだよ」 
ロンドンの公園で見かけた野性のリスがよほど気にいったようだ。


すっかり大きくなった。
8歳になり3年生になった。
態度も落ち着いてお姉ちゃんになった。


顔をみたら市川さんによく似ている。
ジイジに似ているねというと俯いて不服そうにした。
周りからよくジイジに似ていると言われるのがきっといやなのだろう。 


量也君は昔市川さんの映画の音楽を作ったことや
タイトルアニメーションを作ったことを教えてくれた。
ギャラをもらってないと笑っていた。
元子ちゃんは日々季ちゃんと一緒に映画に出演したことがある 。
薬師丸ひろ子の親戚の役だったと思う。
ぼくは多くのエキストラの1人で出演した。
その映画の編集をすすめるたびに、
「7秒出てます」「3秒になりました」と教えてくれる監督がいた。


その撮影は学校で行なわれた。
講堂にエキストラを300人集めての撮影だった。
昼ごはんは校内に敷いたブル−シ−トの上で食べさせられた。
見た目も安そうな、300円くらいのお弁当を渡された、苦笑した。


市川さんが中庭の奥から歩いて来られる。
両手を後ろ手にしてすこし猫背で、
人たちにニコニコと笑顔を振りまいて楽しげに歩いておられた。
それは映画作りのために集まってくれたエキストラたちへ
感謝を表そうとされているおつもりだったと思う。
安い弁当以上に苦笑させられた。


そんな映画監督は他にはいない、
世界のどこにもいないと思う。  


三人が座った後ろの席についた。
トニー滝谷」の上映の前にもう一度「パンパ−ス」のCMを流してくれた。
ルモンドさんがムッシュリュウが日本から来ているとアナウンスしてくれた。 
ムッシュリュウ以外はフランス語でわからなかったが光栄だった。 
オムツの中も汗ばみますでウフフとウケていて楽しかった。 


広川さんの映像の素晴らしさに驚かされた。
宮沢りえさんの繊細でしなやかな演技に感激した。
何度も見ているがパリという長い距離が映画を新鮮に見せてくれた。


最後にトニ−が電話をするシ−ンに泣けてきた。
市川さんの遺言のように思えた。
見ると前に座った元子ちゃんも泣いていた。


死者の影に怯えるな
うつろうな 喪失するな
孤独になるな
向こう側へ
もう1つの向こう側へ
まだ間に合うはず
人に興味をもて
愛にひるむな 愛を示せ
ひたすらにひたすらに
自分の映画へひたすらに向かうのだ


市川さんから感じる言葉がぐるぐるとアタマの中を駆け巡った。
今もなお多くのことを教えてくれると思うと胸にこみあげてきた。


外は薄暗い雨だった。 すでに9時を回っていた。
一緒にご飯を食べたかったが店の見当がなかったので別れた。
彼らはタクシ−でホテルに戻り、僕は地下鉄で帰った。


2日後ようやく晴れた。
セ−ヌ河を遊覧するフェリ−を試してみた。


シテ島からサンルイ島を過ぎてUタ−ンする。
ル−ブルの横を進みイエナ橋を越えてまた戻ってくる。
右手にエッフェルが現れる、近づくほどに船の窓いっぱいに拡がる。 


外人だらけの人いきれでくたびれてしまって、外のデッキへと逃れた。
一人がいい、孤独になりたい、放っておいて欲しいと思った


川の風が気持ちよく顔に吹きかかる。


遠ざかるエッフェルに市川さんの影を感じた。
エッフェルは失くならないでいつまでもそこに見えていて、やさしい市川さんを思った。


楽しい思い出になった。
小さくてささやかだけれど、大切な思い出になったと知った。