ずいぶん暑い夏でした。

市川準事務所よりお知らせです。


BS・CSで放送されています日本映画専門チャンネル映画にて、映画「BU・SU]が放映されます。


『日本映画 レトロ スペクティブ』 

9月13・15・19・21・24日放映されます。

番組の前後には、

笠井信輔さんによる

主演・女優である富田靖子さんへのインタヴューもあります。

どうぞ、ご鑑賞下さい。


http://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10000767_0001.html

久々のリレー日記です。
今回は、「東京兄妹」で脚本をお書きになった、鈴木秀幸さんです。





街を歩いているときや、電車に乗っているとき、ときどき市川さんの映画を思い出す。


ビルとビルの隙間から空が見えたり、背中に日差しを感じたり、夕方の暗がりにぼんやりしてしまったときにも、


市川さんの映画の感触が甦ってくるような気がする。


市川さんの映画を思い出すと、すこし温かい気持ちになる。


『東京兄妹』が銀座の並木座で上映されたとき、市川さんと共同脚本の藤田くんとで出かけたことがあった。


上映の後どこかに寄ったのだが、どこに行ったのか思い出せない。


隣の三州屋に行ったのかな。

麻布十番の小料理屋で、藤田くんともう一人の脚本の猪股さんと三人でごちそうになったこともあった。


路地裏やガード下を歩いていると、市川さんとばったり出会いそうな気がする。


トキワ荘の青春』のときには、都立大で市川さんと共同脚本の森川くんとで打ち合わせをした後、


焼き肉をごちそうになった。


五反田のおでん屋、若ちゃんにも連れて行ってもらった。


無口なおじいさんと元気な娘さんが切り盛りしていた。


小津さんの映画に出てきそうなお店だった。


「都会のどこかで、無名の人が鈍く光っているのが一番いいよな」


と市川さんは言っていた。


なんだか、ずいぶんたくさんごちそうになって、たくさんのことを教えていただいた。


市川さん、ごちそうになったままでごめんなさい。



これからもどこかの街角で、市川さんの映画を思い出すのだと思う。



『東京兄妹』『トキワ荘の青春』共同脚本 鈴木秀幸

カメラマン 北島 元朗



市川監督に初めてお会いしたのは、

カメラマン鋤田正義氏のアシスタント時代に

宮沢りえさんの日本テレコム0088のCM撮影でした。


それから、何度も市川監督とCMの仕事をさせて頂きました。

私がカメラマンになって

岩井俊二監督の映画「スワロウテイル」のスチールを撮影した関係で

映画のイベントに市川監督を招待させて頂きました。

遠い場所にも関わらず東京ビックサイトへ来て下さいました。

映画の上映が終わってから

出来たばかりの映画の写真集を持って市川監督の下へ向かい

写真集を無事に渡すことが出来ました。


それから、市川監督とお会いすることが無く

2年近くが過ぎた頃に

市川監督から直接、撮影依頼の電話を頂き

「北島君こんど映画を撮ろうと思っているんですがいままでの映画と違った感じの

映画を撮ろうと思っていてスワロウテイルみたいな写真を撮って貰えませんか」と言われたので

私は、映画の内容もわからないままに二つ返事で快諾していました。

市川監督と一緒に仕事がしたいと思っていた時に市川監督から直接連絡を頂き

感激したことを昨日のことのように思いだします。


映画「たどんとちくわ」のラストシーンに映画のスチール写真を使用する為に

日活で映画の編集をされている編集室に何度となく写真を持って伺いました。

映画「たどんとちくわ」は、全国公開の映画でしたが諸事情により

東京と大阪の単館上映されただけで映画館で観た人は、少ないと思います。


私が関わった映画と言うこともあり好きな映画になりました。


最近、「たどんとちくわ」の写真のフィルムをあらためて見返してみると

忘れていた記憶が甦ってきました。


市川監督が亡くなられてからわかった事ですが

私が映画の撮影現場で市川監督を撮影した写真を気に入って頂いてたみたいで

市川監督の追悼本の表紙に使って頂いたり

パリで市川監督の特集上映用のパンフレットに使って頂いたりと

私の写真が一人歩きしている事が

光栄であり嬉しくてしかたがありません。


市川監督と何度でも仕事をしたかったですし

何時の日か市川監督の映画を撮ってみたいと言う夢も持っていました。

今となっては、叶わない夢になってしまいました。


これからも、市川監督と関わりのある方々とご一緒する機会があると思いますが

市川監督を感じながら仕事をして行きたいと思います。








北島 元朗

準ちゃん。


市川さんと呼ぶ時。準ちゃんと呼ぶ時。

詳しく正確に言うと、

お仕事で人前の時は、市川さん。

またまた〜、なんてこと言うの、なんてことするの、本当にしょうがないんだから、

でもいいや、好きだから〜許しちゃう〜の時は、準ちゃん。


尊敬する市川さんと愛すべき準ちゃんです。



エピソード、序章



初めて会った時は、勿論、市川さんです。

市川さん33歳、僕32歳。

CMの仕事で、お互いの企画を持ちよった時が初めての出会いです。

同じ課題なのに、どうしてこんなにアイディア、答が違うのと、

2人でコンテを見せ合い、笑いあったことを忘れません。

それは、お互いの個性、キャラクターを認め合った瞬間でもあります。

至福の時です。

2人は、30歳を超えたといえ、まだまだ若い、演出とプランナーでした。

その翌年、そんな2人がかかわったCM、エスキモーピチカート、味の素の中華味が

2本ともACC賞をいただきました。


市川さん、準ちゃんとのハッピーエピソードの始まりです。




エピソード1、準ちゃん初めての海外ロケ、サイパンに行く。



僕たち先発隊より遅れて、サイパン入りした準ちゃん。

サイパン空港にお出迎え、そして飛行機が到着。

せっかくタラップから降りたったのに、再び機内に戻る準ちゃん。

なんだ、なんだと思っていたら、準ちゃんは先に入ったスタッフのために

日本の新聞をわざわざ飛行機に取りに戻ったのです。

優しい準ちゃん。

そんな準ちゃんとホテルは、同部屋。

「ドアー開けておいてね。」といって、

僕を置いて、深夜ガラパンの街に一人消えて行く準ちゃん。

優しさ以上に、好奇心の強い、準ちゃん。



エピソード2、準ちゃん初めてNYに行く。



この仕事も、僕が先にNYに。

後から来る準ちゃんは、「ハーレムロケハンをしておいて」と。

当時のハーレムは、とっても怖いところ。

でも、準ちゃんに言われたら、ロケハンに行かざるをえない。

夕暮れ時、ハーレムへ。

コーディネーターは、怖がって車から降りない。

仕方なく僕が降りたら、案の定、黒人達から罵声!

怖かったー!

この事を報告したら、

準ちゃんは笑顔を浮かべ「やっぱり。」と、ひと言。

人使いの荒い、準ちゃん。



エピソード3、準ちゃん初めてLAに行く。



ロケバスで夕食に行った帰り、ハリウッドのはずれの辺り。

突然「バス止めて!」と、準ちゃん。

いくら、ちょっと歩けばホテルだと言っても、人通りの少ない所、夜の一人歩きは危ない。

僕とスタッフが、いくら止めても、一人闇に消える準ちゃん。

命知らずの準ちゃん。



エピソード4、準ちゃんのロードムービー



準ちゃんは、僕の結婚式に流すムービーを撮ってくれました。

それも16ミリフイルムで。

タイトルは「A DAY IN THE LIFE」

準ちゃんは、僕のかみさんのことを無防備の瞳と言って気に入っていました。

撮影は1日で、深夜に及びました。ロードムービーの傑作です。

結婚式で流した時、アンコールの声が起こりました。

準ちゃんは、涙を拭きながら会場を後にしました。


本当にありがとう、準ちゃん。



エピソード5、準ちゃん何度も何度も愛媛ロケに行く。



ポンジュースのCMのロケ地は、愛媛、八幡浜市

(準ちゃんは、愛媛に住みたいと言っていたぐらい、愛媛を愛していました。)

そこに、ロケに行くたび訪れるスナックがあります。

その名も「アニマル。」凄い名です。

最初は、怖いもの見たさに恐る恐る入りました。

ですが、野獣のようなホステスがいるわけでもなく、

年増のママさんが一人でやっているお店でした。

場末の雰囲気か、名前なのか、なぜか僕たちは、気に入っていました。

そして、最後は準ちゃんお得意のカラオケ、赤いスイトピーの熱唱。

好きでした酔いどれ、準ちゃん。



エピソード6、準ちゃんの初めての映画。



CMで、たびたび素人を起用する準ちゃん。

僕に、映画「BUSU」出演の声がかかりました。

役どころは、ビヤガーデンの階段で酔っ払った俳優高島さんに

反吐を吐きつけられるカップル。

(カップルの相手役は、スタイリストの下田真知子さん。)

セリフは、「きったねーなー!」アドリブで、一言。

反吐を吐きつけられる役だからTAKE ONE OKでないと思っていたら、

一発OKで無事終了。

ですが、その後準ちゃんから電話があり、「編集上、カットしました」と。

幻のシーンとなりました。


そこで、準ちゃんは僕に、再び学校の先生役を用意してくれました。

シーンは、職員室、学園祭の出し物で生徒に相談を受ける役。

カメラ位置から見たら、センターロングボケ。セリフは適当にの指示。(笑)

そんなチョイ役でしたが、

エンドロールには、松枝良明、松枝多佳子のタイトル。

スクリーンで初めて見る自分の名前。感激しましました。

どこまでも優しく、気遣う準ちゃん。



エピソード7、準ちゃん映画その後。


それ以来、たびたび映画出演の声がかかりました。

たいていエキストラ役なのですが、必ずカメラポジションで僕だとわかる所においてくれました。

ノーライフキング」の時なんか、僕の移動とカメラの移動がシンクロしてたりして。

「クレープ」では、わざわざ隣の客役の尾形君がカウンターに、つぷして僕の顔が映るようにしてくれたりして。

そんな中「つぐみ」では、セリフを初めていただきました。

「白鳥さん、電話です。」

エンディングに導く、重要なせりふです。

テイクを重ねること10数回。ようやく、OKが出ました。



締めるところは締める、厳しい映画監督、準ちゃん。




エピソード8、準ちゃんのオフライン編集。



まだ、僕の子供2人が小学校低学年の頃。

たまたま休日で、仕事ですが、子ども連れで編集室に行かなくてはなりませんでした。

編集は確か5タイプぐらい上がっていました。

どれも、良い出来で、お薦めタイプに迷いました。

そんな時、準ちゃんは、子どもに見せて、

素直に笑って反応したタイプを、ニッコリと選びました。

クライアント試写の時も、それが選ばれました。


子どもの素直な反応に、素直に応える、準ちゃん。




エピソード9、準ちゃん映画、再びその後。



「つぐみ」以来、暫らく映画出演のお声が、かからなくなりました。

素人出演者に懲りたのか?準ちゃん。(苦笑い)

ですが、久しぶりに、お呼びがかかりました。

映画「トニー滝谷」です。

仕事を終えて新幹線で、喜び勇んで新横浜へ。

そこには、斬新なオープンセットが。雨降ったら、どうするのだ!準ちゃん。

セリフは、再びありません。いつものようにアドリブです。


深夜におよぶ撮影も無事終了。


映画を見てびっくりしました。

いつものように、センターボケかと思いきや

僕の顔がUPで使われている。

カメラは広川さん

あっぱれ、準ちゃん。

よくぞ、僕の顔UPをカットしなかった。

映画は数々の賞を受賞。

あっぱれ、準ちゃん。



エピソード10、準ちゃんの舞台挨拶。



映画「あおげば尊し」封切の日、娘と2人で見に行きました。

舞台では、準ちゃんがいつものように、ぼそぼそとご挨拶。

客席の僕たちに気づいたんでしょう。

舞台挨拶が終わったら、わざわざ僕たちの席まで来てくれて、再びご挨拶。

娘が感激していました。

そう言えば20年以上前、

映画「BUSU」が、早稲田祭で上映、

内緒で、準ちゃんのパネルディスカッションを見にいった時もそうでした。


客席の尾形君、かみさん、僕を見つけ、

その後、照れくさそうに挨拶に来てくれました。

本当に、本当に大好きでした。

はにかんだ笑顔で、髪をかきあげ、ボソボソっと話す準ちゃん。



エピソード最終章。



33歳と32歳で、出会った2人。

長い付き合いの中、

考えてみたら、幸子さん、僕のかみさん、子ども達も含めたお付き合いになっていた。

仕事に、プライベートに、

ここには、書けないエピソードも含め、

準ちゃんとのエピソーソは尽きない。




準ちゃん59歳、僕58歳。別れは突然、訪れてしまった。




老後の楽しみは、準ちゃん映画でファンキー爺さんの役柄をもらうことだったのに…

そして、もっともっとエピソードを重ねたかったのに…

準ちゃんたら…



62歳、いつの間にか、準ちゃんの歳を軽く、越えてしまった。



松枝良明


お知らせが直前になってしまいましたが、10月29日(月)20時より、BS日テレにて市川準のCM作品が放送されます。


今回番組スタッフの方よりメッセージを頂戴しました。




BS日テレ「徳光和夫のトクセンお宝映像」番組スタッフより



10月29日(月) 20時よりBS日テレにて「徳光和夫のトクセンお宝映像」
「もう一度見たい!名作CM2」が放送になります。


司会の徳光さん、そしてゲストにコピーライターの仲畑貴志さんをお迎えし、
昔懐かしいテレビコマーシャルの名作を選りすぐりお届けする今回。
市川幸子さまや、各企業のみなさまのお力添えあって、
市川準監督の名作CMをほんの一部ではありますが、
ご紹介させていただける運びとなりました。


スタッフ一同、改めて市川準監督が手がけられたコマーシャルを拝見し、
いきいきとした人物達の表情、思わす笑みのこぼれるユニークな演出・・・
CMという短い時間の中に込められた、市川監督の「作品に賭ける想い」を感じ
作り手としても多くのことを学ばせていただいたように思います。


一人でも多くの視聴者の皆様に市川監督の心温まる作品の魅力、そして感動を
お届けできればと思い番組制作に臨みました。


市川準監督の名作CMの数々、ぜひご覧ください。


最後になりましたが、今回ご協力いただいた皆様に深く御礼申し上げます。

市川監督のこと


病院で死ぬということ



私は、初めてプロデュースする劇映画の監督を探していた。
ある日、「市川準」という固有名詞が浮かんだ。



新橋の第一ホテルの喫茶室であった。
「ぼくは映画を趣味でやってるんだよね」といきなり言われた。
でも、少し震えながら身構えながらの発言であった。
心の中で、ムカッとしながら「そんなことおっしゃらずに」と説得した。
「ある人と相談してから、決めていいですか」と別れた。
(後からの話から想像するに、ある人とはたぶん奥さま)
ある人と相談して、やってくれることになった。



末期ガン患者の最後の日々を描く素材だから、私は観客をわんわん泣かせるつもりでいた。
脚本を市川さんが書くことになり、言われた。
「里中さん、お涙頂戴だけはやめましょうね」
「ウッ」と思ったが、最初の稿をみてから直していけばいいやとも思った。
数日後、日本映画界初のA4のコピー用紙に横書きされた手書きの初稿が届いた。
「なんだこりゃ」と思いながら読んだ。お涙頂戴はやめた。



16mmで実景の撮影が始まった。
「フィルムは4〜5本もあれば」が4日間程でテレビの2時間もの一本分使われた。
結果30数時間のドキュメントを見る破目になった。ウソツキの始まりだった。
彼の映画は知っていても、つくりかたは知らなかった私が悪いんだけど、遅かった。



映画が完成してからは「里中さん、これで大丈夫でしょうか」と聞いてくる。
「監督。もう一億ウン千万使いきっちゃったんだから」と返した。
いつも完成直後は極端に落ち込み、公開日にむけて徐々に自信を取り戻すパターン。
取材が続くと「同じ話ばかりさせられてイヤなんですよね」と愚痴る。
ヒトラーはウソも百万回つけばホントなるといってた」と尻を叩いた。
初日の舞台挨拶は、いつも震えながらで「なに話してたか、わからない」としょげる。
「ウブな新人みたいでよかったですよ」と心にもないことをいい励ました。



私にとって市川準とは、シャイで、繊細で、嘘つきで、図々しくて、いうこと聞かなくて



彼が亡くなった夜にビールとマイルドセブンとライターを買い禁煙をやめた。