私が春企画と言う大阪のCMの制作会社を辞めて、
「さてこれからどうしようかな」
なんて呑気なことをボケっと考えていたある日、
その春企画の山田社長から一本の電話が、

『今度、市川さんと仕事するから、ぷらぷらしてるんやったら、ついてこい!』

なぜ、辞めた会社からそんなこと言われるのか不思議でしたが、
やることもないので言われるままに新幹線で東京へ。
麻布のアオイスタジオの会議室。
四国競輪のCM打ち合わせ。
それが市川さんとの初めての出会いでした。

「市川さん、今回、貝本っていうの付けますから」と山田さん
「えっ?・・・そうなの?」と市川さん

ん? なんだこの会話は、

「貝本です、よろしくお願いします」

名刺すら作ってなかった無礼者の私に

「大阪の人なの? 今度大阪で映画とるから手伝って!」
「・・・えっ?」

緊張もしていたし、
名刺がないことが肩身を狭くしているし
市川さんの初めての言葉も無防備すぎるし
山田さんは私を付けること言ってなかったし
それはそれは弱点だらけの出会いでした。



この仕事は衝撃的に楽しかった。
市川準の魔法にかかったように。

まだまだ若かったころ、
「ここは、こうしたらいいんじゃないですか?」
クリエイティブにかかわるようなことをいっても
却下、無視、罵倒されることが大半で
この業界での楽しみ方を見つけるのには
段取り事をこなすこと、そちらを評価してもらうことでした。


四国・松山でのロケ。
せっかく、市川さんに付いたんだから
ダメモトで自分のアイデアをいってみよう、
相当の勇気と覚悟で言ってみると

「それ、おもしろいね!・・・ちょっとやってみて!」

ゲラゲラと笑う市川さん。

「じゃあ、いくよ、用意、スタート!」

カメラが回りました。
体が震えました。
目の前に当たり前のようにあった灰色の壁がはじけ飛ぶ瞬間でした。

3日間あった撮影の中で何度も何度もあったこの瞬間。
撮影ってこんなに楽しいものなのかと、教えていただきました。

それは、後に市川さんと何百本と一緒に携わった仕事のすべてに
この瞬間は続いて行きました。


松山を出るとき
「映画、手伝ってね」
笑顔いっぱいで後にされました

それから『大阪物語』という台本をもらいました
私にとって人生を変えるような作品と出合うことになるのです・・・・。


貝本敏弥