"市川準監督と3年振りの会話"


 2008年9月19日の朝8時半、
こんな時間に来るはずもないプロデューサーの里中哲夫氏より衝撃の電話を受け取った。
その時のやりとりは今でも忘れられない。


 里中氏「橋本さん、驚かないでね」
 橋本「大丈夫だよ、何?」と応えた。


私の頭の中は、11月からクランク・イン予定の、
映画『ヴィヨンの妻』が延期か中止にでもなったのかな、と即座に判断した。

 
 里中氏「市川さんが、昨日夜中に亡くなったよ…」
 橋本「………?」


何を言っているのか理解できなかった。
頭の中が何かしらぐるぐるまわっていた。
そんなバカなこと、受け入れられるはずがない。
頭が真っ白になるとは、こういう事を言うのだろう…。
 
 あれから丸三年…。
まだ市川監督が亡くなったことを素直に受け入れることが出来ない自分が居る。
嗚呼、もう一度市川監督と仕事したい…。
「ヨーイ、たっぷり間を取ってー、スタート!」の声が聞きたい。
そしてあれやこれや無理な注文を素直に受け入れて、
「今日の録音技師、どうしたのかな?」と、戸惑う市川監督の丸い後ろ姿を見たい。


 2011年9月17日、銀座の「Bar リバース」に
市川準監督のご家族、スタッフ、友人、研究会の人達が一同に会した。
市川監督のCM集や、追悼作品を観ながら笑顔の市川監督の写真と共に過ごした。
そのうち、ピアノ演奏が始まり市川監督に語りかける。
皆うっとりと気持ちのこもった曲を聞き惚れていたその時、

 
 市川準監督「良いね、その曲、今度の映画に使いたいね、どうですか橋本さん?」
ほろ酔い加減の私の耳に、市川監督の声が確かに聞こえたのでした。


2011年9月19日 
橋本泰夫

(写真)2010年9月「市川準・集」新井画廊にて(左から貝本敏弥氏と筆者)