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「9月の“市川準・集”のこと」〜思い出・その2〜
市川青年は
本や音楽ばかりでなく詩も紹介してくれた。
・・・ネクラーソフやヴェルレーヌもあった。
ページを捲るのすらくすぐったい、
美しい写真と美しい詞(詩)に彩られた詩集の中から、
彼が選んでくれる詩は
わずかな希望の光を未来に求め、
しかしその道は遠く、つらそうで、
ロマンチックからは、ほど遠いものばかりだった。
その頃の二人にとって、かれの言う
「結べない夢でない」過程のひとつに受験があったので、
今こそが試練の時なのだと、
彼は詩を以て示唆している(呑気そうな私を見て)と解釈していた。
谷川俊太郎氏のユーモアに溢れた「二十億光年の孤独」は
「光年」という途方もない距離と、言葉遊びも絡めて、
その詩を肴に二人で、あ〜だのこ〜だのと世界を膨らませ、
時間の経つのも忘れ、ひと駅もふた駅も歩き、
「孤独」はいつの間にか、
満天の星の様な「幸福」になっていったような気がする。
ある時、君に読ませたいと思って、とメモ書きでくれた、
「茨木のり子さんの詩」は衝撃ともいうべき強烈な印象で私の胸を突いた。
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わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんか、がみえたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場は 海で 名も無い島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
・・・・・・・・・・
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵をかいた
フランスのルオー爺さんのように ね
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いい詩だよね、逞しいでしょ、
今の僕らと同じ年齢(19歳)の頃の事を詠んでいるんだよ、
と解説され、
不幸を詠うようでありながら明るいその詩に感動し、
私は言葉もなく家路についた。
ずいぶん長いこと忘れていたけれど、無性に懐かしい。
*短い間でしたが、今回を持ちまして文章は終了させていただきます。
9月6日からの「市川の個展」に あたり
市川が「絵」を描いていた当時(約40年前)の、
一片の空気を共有していただきたいと、
拙い文章も顧みず(勇気を奮い起こし)、掲載いたしました。
お付き合い頂きましてありがとうございました。
是非、会場へお出かけ下さい。
お待ち申し上げます。
詳細→ http://www.ichikawa-jun.com/sp/shu.html
市川 幸子