ijoffice2010-08-23






「9月の“市川準・集”のこと」〜思い出・その1〜




夏も終わり頃
「僕の家で上映会をすることになったから来て」
市川さんの弾んだ声が電話の向こうから聞こえた。


お堀に面した坂の途中をちょっと右に入った家。
急な階段を上った二階が彼の部屋、
壁には画鋲で留められた、模造紙大の木炭紙が貼られていた。
見覚えのある顔が集まって
ざわざわし始めた頃、
それじゃぁ、そろそろ、と彼の声。
おもむろに雨戸が閉められ、一瞬、闇・・・。
扇風機の回る音、
ガチャ、っと テープレコーダーのスイッチの音、
そして、映写機も後を追って動き始めた。


映し出された映像は10分足らず、
ついこの間見たばかりの光景が凝縮されて画面に広がる。
まだ半月も経っていないのに、もうすっかり過去のものとなって、
彼のナレーションとバックに流れるの曲に包まれ、新たな世界が拡がっていく。


映画作りの現場は傍観している者(私)にも
体力と緊張を要求してくる。厳しい。
あの時、飯田橋を拠点とし、
市ヶ谷、四谷、赤坂へと土手伝いに、
水道橋、小石川、本郷まではジグザグで、
早稲田、新宿、信濃町へは・・・人にまみれ、
炎天下の中、
市川一連隊(3、4人)は街を歩く。
あっちだこっちだ、そっちだと、
差し入れのおにぎりを届けに来て、帰るチャンスを逸してしまい、
私も、彼らの「お祭り」の山車についていくはめになる。
行き先どころか、何をするのかさえも分かってない。
やっと見つけた日影に涼んでいると声が掛かったりする。
「ちょっと、ここに来て、そこに座って、いや立って
・・・顔を上げてみて・・・少し下げて・・・ウーン、振り返って!」と。
その時、退散のタイミングを計るのが私の唯一の課題となっていた。


どうだった、映画?
「うん、すごいのね、ストーリーになっていたんで驚いた!」
浪人生活二年目、19歳の暑い夏の出来事だった。


最近、古いノートが顔を出した。
表紙に仮題「way way out」と書かれていた。
あのシナリオだった。





                       市川 幸子